「あさが来た」今井の実家は、三井財閥のルーツ。三井住友銀行。三越伊勢丹もここから。
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NHKの朝の連続ドラマ、「朝が来た」で、あさの実家の今井家は、歴史上、何がモデルになっているのでしょうか?
実話をもとに作られているドラマですので、登場人物が、歴史上の誰にあたるのか、気になりますよね。
そして、そのルーツが現在、どうなっているのかも気になるところです。
今日は、今井の実家のモデルについて、調べてみました。
今井の実家のモデルは、何?
あさの今井の実家は、三井家がモデルになっているそうです。
三井家といえば、そう、あの三井財閥のルーツです。
今では、三井グループの会社は、たくさんありますよね。
しかし、その中でも、もともとあった家業として、今もなお続いているのは何でしょう?
一つは、ドラマを見ていてもわかりますよね。
そう、大手3代メガバンクの一つ、三井住友銀行です。
赤色の三菱東京UFJ銀行、青色のみずほ銀行、緑色の三井住友銀行といったように、
緑色の銀行としてもおなじみです。
ドラマを見てもよくわかるように、両替商から、銀行へと変わっていきました。
あのドラマを見ていると、時代の流れとともに、銀行が必要になったということがよくわかりますよね。
なるほど、こんな背景で、今の三井住友銀行はできたんだ。
と思うと、三井住友銀行に口座を作ろうかな。。。なんて思って今います。
さて、三井家には、実は家業がもう一つあります。それは何でしょう?
それは、三越です。
えっ、三越?確かに、「三」ってついているけど、「三井」ってついてないよ。
って、思いますよね。
そう、三越のルーツは、越後屋です。
しかし、越後屋をそもそも誰が作ったのでしょう?
これは、江戸時代の1673年に、三井高利(みついたかとし)という人が呉服店として開業しました。
当時、かなり革命的な商売方法を始めたそうで、大いに成功しています。
これについていも、いろいろ書きたいのですが、これは、また長くなるので、また別の機会に。。。(^^;
つまり、この越後屋も、三井家に長く伝わる家業だったのです。
両替え商と、呉服店、どっちが先?
実は、両方とも、先ほど紹介した三井高利が始めました。
ただ、早かったのでは、呉服店の三越です。
越後屋をはじめて、大成功し、10年ほどたった後、三井高利さんが、両替え商をはじめました。
そして、高利さんは、これにも、商才を発揮し、なんと、幕府の御用為替方となるのです。
つまり、三井家の家業は、三井高利が、はじめた両替商と、この呉服店の越後屋の二つということになります。
幕末から明治維新のころ、三井家はピンチだった!
しかし、ドラマ「あさが来た」の時代、幕末から明治維新にかけて、越後屋呉服店は、経営が苦しかったのです。
一方で、幕府が倒れて、明治維新となり、両替え商というビジネスも、時代に合わなくなってきたのです。
ドラマで描かれているように、両替え商で、店がつぶれるということもこのころはよくあったのです。
ここから、三井家は、近代化していきます。
そんな時代背景の中、三井家は、両替え商から、銀行へと変化をとげ、この銀行に専念しようという方針を決めます。
しかし、それでは、代々続いてきた越後屋呉服店がなくなっていまいます。
そこで、新たに、「三越家」をつくり、三井家が三越家に呉服業を譲渡する形で、独立させたのです。
三越家の当主は、三井家の中から、三井高信という人が選ばれました。
その後、越後屋は洋服店になりますが、なかなか、うまくいきませんでした。
しかし、その後に、アメリカの百貨店のやり方を取り入れ、近代化するのです。
これにより、デパートとして歩み始めて、今にいたるのです。
まとめ
ドラマで、「あさが来た」の主人公あさの実家は、三井家でした。三井家は、三井高利によって、はじめられた「呉服店」と「両替え商」を家業とする家です。
ドラマでは、この「両替え商」が時代の変化で、つぶれていく中、「銀行」へと舵をきって、
時代の波を乗り越えていく時代を描いています。
家業を、長く続けていくということが、楽ではないことが、このドラマを通してよくわかります。
今井の家をでて、加野家に嫁ぎ、なんとか時代の波にのって、新しい商売を始めた「あさ」
それと対照的に、とついだ後で、商売に失敗してしまい、廃業してしまうあさの姉「はつ」。
今の時代も変化の大きな時代です。
大きな会社にいるからといっても、数年後、その会社の事業が栄えているとは限りません。
「あさ」を見習って、この時代の変化の波を乗り越えていくことが、私たちにも必要かもしれませんね。
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